とーま日記:Q

藤麻無弓(とーま・むゆみ)が色々ダラダラしてます。

“hidiNG”

mooth1006u3.hatenablog.com

>>『自分の歪みやダメな部分をひたすら文章に書いて公開し続けていけば、そんな自分を全て受け入れた上で自分と仲良くしてくれる人が自分の周りに集まってくるだろう、みたいな期待もある。』(P. 114)



phaさんの本を読んでから… っていうか少し前から弱さを意識して出していく、みたいなことを書き続けてみてるんですけど、
外に向けて話しやすい弱さと、話しにくい弱さ ってあるなー ってなんとなく思ったのよね。
書いて公開してもいいコンプレックス、公開しにくいコンプレックス。
公開したくないコンプレックス。
……ってあるなー なんて。


たとえば、

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私がお腹が弱い ってことは別に普通に言えるんですよ。
誰に対しても別に普通に。
異性に対しては少しハードルがあるのかもだけど。「トイレが近い」っていうとさ。


ツラさを出す ってのは出しやすいのかな。

苦手な部分を出す ってのも出しやすいのかな。


恥ずかしさを出す ってのが難儀でしょうかね。
知られたら恥ずかしい っていうようなことは。


『自分のダメな部分を出す』と一概に言っても、『自分で “ダメだと思ってる” 部分』であったりするし。
ツラい部分、苦手な部分、許せない部分、弱点、コンプレックス …表現としては言いようが異なるんだけど、「知られたらイヤだ」「知られたら恥ずかしい」「知られるのはマズい」っていう、そういうのが部分部分であるものだなー って。

で、
それを知られる対象も異なるし。
この人になら別に知られてもいいけど、この人には知られたくない とか、
この人にその部分を突っ込まれるのはイヤだ。 とか。

“友達だから” どうとかではなくて、完全に個人によるなー と。
“おおよそ一般的な常識の価値観” で、その一般常識であろうことから逸脱しているであろうダメなこと ってのもあるし。

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その集団の中では普通であっても、その集団の外では異常であったりとか。

自分にとっての、その普通とか異常とか、特定の集団の中では理解のあること とか。


完全に万人に理解のあることは無いし、完全に万人に理解を求めることも違うしな と。

で、
他方側が前提として 批 判 に 乗 じ た い 空 気 になってるときは、どれだけの小さな差異であってもそれは無理解なことに仕立てられてしまうこともあるし。

 



だから前に、「なんでもSNSやらネットやらに書くべきものでもない」ってことをこのブログでも書いてるんだけど、敢えて主語を抜いたり、詳細を排したり、比喩を用いたり、文章を玉虫色に染めたりする手法を使うんですけどね。
ま、これは分かる人にしか分からないこともあってなんとも言い難いのですが。。。


たとえばね、
「此処の空間での内容は安心をお互いが提供しますよ」という中で、あらゆる黒い部分を出したとしても、それは余裕で。

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このイベントで毎回のことですけど、SNSには書かないことが主催側と客側のルールですから。
この空間から外に出してもいい 部分 はちゃんと裁量されてますからね。
客側の私たちが SNSに書かない というルールを守って安心を主催側に提供してる。




世界線” が多層に異なる現実空間では 抵抗があるものがある。

私にとって、『ダメなこと』『許せないこと』『恥ずかしいこと』だと思ってる部分は 人によって空間によって理解も許容も異なる。
けど、あまりにも弱さとか黒さとかを隠して抱えてもいられない。
ので、出せる部分は少しずつ。
自分の裁量で、判断で、リラックスした気持ちで、肩の力を抜きながら 強がっていたことをこの混沌とした現実でも外に出していけたらねぇ。